江戸時代、江戸に常住する武家には幕府から屋敷用地が与えられました。後に幕府と藩を繋ぐ政治的な窓口として、藩邸と呼ばれる大名屋敷が建てられました。
貞享元年(1684年)、土佐藩邸全体の居住者は3195人(うち上屋敷で1683人)を数えたそうで、大名にとって藩邸は本国と同様に重要な屋敷として格式を維持するために多額の費用を要しました。
また、将軍が直々に藩邸を訪ねる御成りが行われ、赤穂義士義挙の元禄15年(1702年)、徳川綱吉(5代将軍)御一行による加賀藩邸の御成りにおいては、36万両(一両=30万円換算=1080億円)もの大金を投じて、加賀藩がもてなしたと伝えています。
余談になりますが、藩邸は幕府の統制外に置かれ仮に犯罪者が藩邸内に逃げ込んだとしても、幕府は捜査権を行使することができなかったそうです。
翻って現在、46道府県が東京に事務所を設置していることはあまり知られていません。東京都事務室を加えた44都道府県の東京事務所は、日本の中枢機能が集中する千代田区平河町の「都道府県会館」にあります。
戦後間もない昭和22年、地方自治法により知事公選制の導入や道府県の自治体化が行われました。ところが自治体化した道府県が国からの補助金を獲得するためには、国の出先機関だった戦前よりも激しい他道府県との水平的競争に勝利する必要がありました。その交渉のために道府県は東京事務所を設置して、人的ネットワークを駆使しながら国との関係を構築しようと考えました。近年、地方分権が叫ばれますがこのバランスは今なお続いています。
「都道府県会館」8階にある滋賀県の東京事務所には、所長以下10人の県職員が配置されています。所掌する主な業務は、国の政策動向に関する情報収集、関係省庁への政策提案、パブリシティ活動、記事掲載等による情報発信、滋賀県人会など団体の連携です。
他道府県の東京事務所もおよそ同じ業務です。しかし、どうせなら業務力も発信力も他を圧倒して抜きん出た滋賀県の東京事務所であってほしいと私は願います。実現するためには、機能強化とイノベーション(新機軸)を打ち出し、心、技、体を兼ね備えた人材の配置と投資する予算が必須の条件になります。
県議会2月定例会議に詳細の提案を行いますので、びわ湖放送の「県議会ダイジェスト」をご覧いただければ幸いです。
江戸藩邸の機能が第1のイノベーションとするならば、今日までの東京事務所の機能が第2のイノベーション、第3のイノベーションは、滋賀県が率先して機能強化を図り新たな行動を起こす事です。