「桜田門外の変」と「有村次左衛門」 滋賀県議会議員 ありむら国俊

2025年2月15日

幕末、日本の未来を変えた歴史的大事件「桜田門外の変」から165年を超え、彦根市(彦根藩)と鹿児島市(薩摩藩)が、1月に交流協定を締結し全国的な話題となりました。

ところで「有村さんと桜田門外の変はどういう関係ですか?」と以前からよく聞かれますので、この機会にご説明させて頂きたいと存じます。

桜田門外の変は、1860年3月3日、水戸藩17名、薩摩藩1名の尊王攘夷派志士が、徳川幕府大老で13代彦根藩主の井伊直弼公を江戸城桜田門外にて襲撃した事件です。薩摩藩1名は、私の4代前にあたる有村次左衛門(21歳)です。目的を果たし首級をあげ、現在の皇居東側に位置するパレスホテル東京前で自刃しました。

この度の交流協定の締結は、昨春に、彦根市長の和田裕行氏、鹿児島市長の下鶴隆央氏へ「歴史的背景を超えて両市の発展的交流を」提案させて頂き、その後、井伊家18代当主の井伊直岳氏、島津家33代当主の島津忠裕氏のご理解とご賛同を得て、入念に準備を整えていきました。

そして年が明け、1月16日、彦根市に5人が揃い、井伊家菩提寺の清涼寺を訪問し、彦根城楽々園(槻御殿)にて大勢のメディア関係者が見守る中、厳粛な交流協定の締結式に臨みました。

今後は、観光文化事業等の都市間交流が具体化していくことになります。

一方、彦根市(彦根藩)と水戸市(水戸藩)は、57年前の1968年に、井伊家16代当主の井伊直愛氏(元彦根市長)が親善都市提携を既に締結されています。

桜田門外の変から165年。井伊家、島津家にとっては「関ヶ原の戦い」終盤の因縁対決から425年。これら節目の年に、ようやくご縁が結ばれたことは、有村家にとりましても長年の悲願成就であり、感無量の思いです。本件のためにご尽力下さった国内各地の関係者の方々にも感謝と御礼を申し上げます。

歴史は今日から刻々と進みます。相互の理解と連携を深め、彦根市、鹿児島市のさらなる発展を心から念じております。

映画「桜田門外の変」1分25秒の動画をご覧頂ければ幸いです。