安土城の屏風絵の行方。   滋賀県議会議員 ありむら国俊

2020年10月8日

その昔、文化庁が屏風絵など確かな証拠が残っていない理由から、安土城の復元は認めない方針を打ち出しました。

背景には、愛荘町出身で西武グループ創始者であり衆議院議長だった堤康次郎氏が悲願とした安土城の復元について、文化庁が「狩野永徳が描き、ローマ教皇に献上したと伝えられる屏風絵が見つからない限り復元はまかりならぬ」と固執したことに由来します。

一方、文化庁は平城京のような古代遺跡については、資料がなくても中国等の関連資料に基づいて復元させています。

さらに、オリジナルを重視するのなら本来は撤去すべき城郭建造物群が全国にありますが、文化庁はそこまで要求していません。現に、名古屋城(昭和34年)や熊本城(昭和35年)は、鉄骨鉄筋コンクリート造の天守が建設されました。

そもそも、屏風絵なるものは地面から天雲、建物にあっては相当アバウトに描かれていると思います。ですから、安土桃山時代にローマ教皇に献上し、後に別の国に贈られたかもしれない屏風絵が奇跡的に見つかったとしても、往時をしのぶ安土城の姿が鮮明かどうか疑問です。

さて、安土城の関連で日々精力的に活動している県の文化財保護課では「幻の安土城」復元プロジェクトのスタート以来、着実に成果をあげ、このほど最新のレーザー測量を用いて赤色立体地図を完成させました。安土城の実像解明に繋げると共に「令和の大調査」の基礎資料として期待がかかります。

先般、安土城の実像をどのように見える化するかについて4案を提示し意見を募集したところですが、4案それぞれに賛成する方がおられ、いずれかの案が圧倒的に多いというわけではなさそうです。なかには「織田信長公が16世紀の最先端技術で建てた安土城が現代に蘇るとしたら、21世紀の最先端技術で安土城を建ててほしいと織田信長公自身が願うのではないか」との珍しいご意見も伺うことができました。

安土城の復元は、本県のみならず全国の織田信長公ファン、城郭ファンも注目している大事業です。本能寺の変がなければ日本の中心は「近江」に、現在の東京の繁栄がまさに「滋賀」にあったと信じています。私の目標「日本一の滋賀を創る」を肝に銘じ、文化庁・滋賀県・近江八幡市・関係者間で協議を重ね、折り合いをつけ、一歩ずつ前進するための努力を継続致します。

近々、豊臣秀次公の八幡城についても書きたいと思います。