終戦の詔書(玉音放送)の大意           滋賀県議会議員 ありむら国俊

2017年8月14日

8月15日は、お盆、戦没者の追悼など先人が苦難を乗り越え築かれた平和に感謝する日です。昭和20年(1945年)8月15日12時、天皇陛下による終戦の詔書(玉音放送)は、ほとんどの方がご存知ですが、詳しく内容までご存知でない方も多いと思います。私もこの機会に調べてみたところ、天皇陛下の慈しみ深いお気持ちに驚きました。皆様にも何かを感じて頂ければと思い大意を掲載します。

 私は深く世界の大勢と日本の現状に鑑み、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、忠実で善良な国民に告げる。私は政府に米国、英国、中国、ソ連の4カ国に対しそのポツダム宣言を受諾することを通告させた。そもそも、国民の安全確保を図り、世界の国々と共に栄え、喜びを共にすることは、天皇家の祖先から残された規範であり、私も深く心にとめ、そう努めてきた。先に、米英2カ国に宣戦を布告した理由も、帝国の自存と東亜が安定することを願ってのことであり、他国の主権を排除し、領土を侵すようなことは、もちろん私の意思ではなかった。 しかしながら、戦争はすでに4年を経て、わが陸海軍将兵の勇敢な戦闘や、官僚たちの勤勉な努力、国民の無私の努力は、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢も日本に不利に働いている。 それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、罪のない人々を殺傷し、その被害ははかり知れない。それでもなお戦争を継続すれば、ついにわが民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明をも破壊してしまうだろう。そのような事態になれば、私はどうしてわが子ともいえる多くの国民を守り、代々の天皇の霊に謝罪することができようか。これが、私が政府にポツダム宣言に応じるようにさせた理由である。 私は日本とともに終始、東亜の解放に協力してきた友好国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。 国民で、戦場で死亡し、職場で殉職し、思いがけない最期を遂げた者、またその遺族のことを考えると、身が引き裂かれる思いがする。さらに戦場で負傷し、戦災に遭い、家や仕事を失った者の生活については、私が深く心配するところである。思うに、これから日本の受けるであろう苦難は尋常ではない。あなたたち国民の本心も私はよく知っている。しかし、私はこれからの運命について耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで、将来のために平和な世の中を切り開こうと願っている。 私は、ここにこうして国体を護持して、忠実で善良な国民の偽りのない心を信じ、常にあなた方国民と共にある。もし激情にかられてむやみに事をこじらせ、あるいは同胞同士が排斥し合って国家を混乱に陥らせて、国家の方針を誤って世界から信用を失うようなことを私はもっとも戒めたい。国を挙げて一つの家族のように、子孫ともどもかたく神の国日本の不滅を信じ、道は遠く責任は重大であることを自覚し、総力を将来の建設のために傾け、道義心と志をかたく持ち、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないよう努力すべきだ。あなた方国民は私のそのような考えをよく理解してほしい。(公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館監修)