私の歴史好きの原点は大河ドラマですが、今年は三谷幸喜さんの脚本による「真田丸」が好評を博しています。「ひょっとしたら今回は、徳川方が負けて家康が討ち取られるのでは?と思うぐらいの希望に満ちた前向きな真田信繁(幸村)を大坂の陣で描きたい」と喜劇作家の三谷さんらしいコメントを見つけました。最終回まで三谷ワールドの戦国時代を楽しみたいと思います。
さて、滋賀県は来年10月の開設へ向けて「首都圏情報発信拠点」の整備を進めています。場所は八幡商人ゆかりの東京日本橋の中心部、日本橋高島屋北側にある東京日本橋タワー(2期工事建設中)の1階・2階です。
情報発信拠点の機能は、滋賀の物販や観光案内に加え企画催事、近江の食材(米・牛・茶・野菜・湖魚)の体感、地酒・琵琶湖八珍・B級グルメの提供、ビワイチ・忍者・飛び出し坊や・けいおん・ちはやふる等のクールな体験、移住交流やUIJターンの初動サポートなどです。
マーケットのリサーチを重視し全国そして世界から集まる人々に滋賀を丁寧にアピールしつつ、生産者や生産地にフィードバックする拠点にしようと思いを巡らしています。
ところで、東京一極集中の是正・災害対応力の強化・国政全般の改革を目指す首都機能の移転は常に加速化しなければならない国の重要な課題です。私は防災力・交通システム・環境(琵琶湖)・歴史上から最適な首都機能の移転先は滋賀であるべきと認識しています。この機運を県内外から盛り上げていく手段として拠点を多岐にわたって活用し、様々なメディアを通して戦略的に滋賀の上質な魅力を提示するための営業活動を手広く展開しようと考えています。
歴史に「たら」・「れば」はありませんが、本能寺の変がなかっ「たら」、秀頼公が生まれていなけ「れば」、西軍が勝ってい「れば」、政治の拠点は「近江」であった可能性が極めて高く、少なくとも「江戸」ではなかったと思います。首都機能の滋賀への移転は、織田信長公(安土城主)、豊臣秀次公(八幡山城主)、石田三成公(佐和山城主)による400年の時を経たリベンジを髣髴とさせます。
関ケ原の戦いは日の本を二分する大軍(おおいくさ)でした。
私たちの先祖も辿れば其々に多様なご縁があると思います。
もし関ケ原の戦いにご自身が参戦するとしたら「西軍」、「東軍」どちらに陣取りますか?
秋の夜長の話題に如何でしょうか。